市の概要
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本市は、桂川と笹子川の河川沿いに広がる河岸段丘に古くから集落が形成され、甲州街道の宿場町として、また養蚕・絹織物の特産地として発展してきました。
昭和29年8月に北都留郡の大月町、猿橋町、七保町、梁川村、初狩村、笹子村、賑岡村の3町4村が合併し、山梨県で6番目の市として市制が施行され、翌9月にはさらに富浜村を合併して現在の大月市となりました。
昭和30年代を迎え、我が国の高度成長期とともに本市においても地場産業である繊維工業を中心に経済活動が活発化しました。
しかし、昭和40年代後半のオイルショックの影響を受け、繊維工業や中小企業は次第に衰退し、本市の人口も昭和30年の41,412人から昭和50年には36,766人へと大きく減少しました。
この間、昭和44年に中央自動車道富士吉田線、昭和52年には同西宮線が開通し、また昭和61年には中央本線快速電車が大月駅へ乗り入れるなど、首都圏への通勤・通学時間は大幅に短縮されました。
全国的にも経済の発展期に入り、都会へ進学・就職で転出する方が多くなり、人口は減少していたものの、大規模公共工事としてダム建設や、山梨リニア実験線の建設、電子製品の製造企業の誘致や、水力発電所の建設、都心へ通勤できる立地条件であることから住宅地の造成等で、人口減少をゆるやかに抑えていました。
しかし、景気の退潮とその後の長引く平成不況や、各種建設事業が完了したこと、近年は少子化の影響をまともに受け、急激に人口減少が表れ、平成20年には、人口が3万人を割ってしまいました。
令和に入ってからは、新型コロナウイルス感染症の蔓延による社会経済情勢の不安定化の中、令和3年には大月駅北側の大型宿泊施設が開業、令和4年には国道20号の駒橋地区から大月インターチェンジまでの大月パイパスが全線開通するなど、本市をめぐる社会経済環境も大きな変化を迎えています。
令和6年には市制施行70周年の節目の年を迎える中、基本理念を「信頼と協働のまちづくり」とし、まちづくりの将来像を「ひとと自然をいかし、希望のもてる未来をみんなで実現していくまち 大月」とする、大月市第8次総合計画を策定し、市民と行政が一体となり、新たな変化の時代へと歩みを進めています。
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