秀麗富嶽十二景ミュージアム
大月市から見る美しい富士山の風景
東京から約1時間
日帰り旅行は大月へ。
電車で大月へ
JR新宿駅から
中央本線 特急「かいじ」「あずさ」で約1時間
中央本線 普通列車で約1時間半
JR甲府駅から
中央本線 特急「かいじ」「あずさ」で約30分
中央本線 普通列車で約1時間
車でお越しの方
東京方面から
中央自動車道経由で約1時間
大月ICをご利用ください
Googleマップ


周遊、大月市
都心から1時間とは思えない自然を満喫
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見る
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食べる
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知る
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日本三奇橋・猿橋
橋桁を使わず、両岸から張り出した四層のはね木で支えられている珍しい構造の橋。周囲の自然と見事に調和した美しい景観は、歌川(安藤)広重の「甲陽猿橋之図」に描かれ、国の名勝にも指定されています。周辺一帯は散策コースが整備されており、彩り豊かな桂川渓谷の四季が満喫できます。
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真木お伊勢山
約3,000本の桜が植えられており、春になると山が鮮やかなピンク色に染まります。また、お伊勢山周辺には、五つの神社を巡る「五福参り」のコースも整備されています。約1時間で、全てを巡ることができますので、歩いてみてはどうでしょうか。
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矢立の杉
樹齢1000年を超す矢立の杉は、戦国時代合戦に赴く武士が必勝を祈願して、この木に矢を射ったことからその名前がついたと言われています。甲斐国誌、甲斐叢記などの古い本に記され、江戸時代末期の浮世絵師・葛飾北斎や二代目歌川広重の名画にも残されています。
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岩殿山ふれあいの館
岩殿山中腹の丸山公園内に中世の城をイメージした建物があります。1階は大月市出身の山岳写真家白簱史朗氏が撮影した秀麗富嶽十二景から眺めた四季折々の富士山の写真を中心に展示しています。2階は大月のいいところフォトコンテストの入賞作品等を展示しています。
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大月の日本酒
日本酒、ワイン、焼酎や地域の特産品が並ぶ酒遊館があり、日本酒の試飲が可能です。また、毎年11月には新酒祭りが開催されます。
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モモから
「大月桃太郎伝説」にちなんで、大月の新名物「モモから」ができました。特徴は、鶏のモモ肉を使うことと、大月産玉ねぎ塩こうじが使ってあること。大月市内の飲食店グループ「食彩の会」が取り組む、新たな大月の食の名物です。
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追分の人形芝居
ここは天下に聞こえた甲州街道の難所、笹子峠のふもと、笹子村。炭焼きの部落に三百年ほど前から伝わる人形芝居がある。
山仕事の合間、芝居の稽古に熱がはいる。荒れて節くれだった手から人形の悲しくも美しい物語がつむがれだす。雪に埋れる峠の農家から、口三味線の義太夫節がひびく。
笹子追分人形は、義太夫節を伴奏とした人づかい様式の人形芝居で、18世紀の頃、淡路(兵庫県)の人形使いによってここにもたらされ、庶民の文化として受け継がれてきた。一人が足を、一人が左手を、一人が右手と頭。三人が呼吸を合わせてひとつの人形を使う。 -
八ッ沢発電所施設一号水路橋
明治45(1912)年に送電を開始した東京電灯(現東京電力)の八ッ沢発電所。桂川渓谷にかかる一号水路橋は、長さ42.7mの鉄筋コンクリート造単アーチ橋で、建設当時は国内最大でした。周辺の景観との調和を重視した、凝った意匠も必見です。(国指定重要文化財)
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大月桃太郎伝説
日本の昔話の主人公「桃太郎」が活躍した場所は、実は大月だったことをご存知ですか。昔、岩殿山に赤鬼が住んでいました。この赤鬼は、九鬼山の9匹の青鬼と一緒に住んでいましたが、とても乱暴者だったので九鬼山から追い出されてしまい、里の人々を苦しめていました。一方、岩殿山の東側には百蔵山(桃倉山)があります。昔、桃の木がたくさん生えていたのでこの名前で呼ばれていました。ある日、たわわに実った桃の実の、中でも特別に大きな実がポトリと川に落ち、下流の鶴島(上野原市)に住むおじいさんとおばあさんに拾われました。その後、鬼退治に行く途中、犬目(上野原市)で犬、鳥沢で鳥、猿橋で猿を家来にした桃太郎は、勇気を持って攻めていきました。その時、鬼が右手で投げた長い杖が笹子に、左手で投げた短い杖が地面に刺さり地震を起こしたため、石が落ちた付近を石動(大月市賑岡町)と呼ぶようになったそうです。
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かがり火市民祭り
武田二十四将の小山田氏の遺徳をしのぶ「岩殿山かがり火祭り」を継承し、市民総参加で行われる大月市最大の夏祭りである。
富士山と大月
大月は富士登山の北側玄関口
大月市は、山梨県の東部に位置し、
富士山の美しい眺望や四季折々の景色を楽しめるスポットが多数ある、豊かな自然と歴史を満喫できる街です。
桂川と笹子川の河川沿いに広がる河岸段丘に古くから集落が形成され、甲州街道の宿場町として、また養蚕・絹織物の特産地として発展してきました。
かねてより「富士の眺めが日本一美しい街」として知られ、1992年には大月市域の山頂から望む美しい富士山を伝えようと、「秀麗富嶽十二景」が制定されており、多くのハイカーが訪れています。
また、江戸時代に発展した「富士講」においても、江戸(東京)から富士山を巡礼する人々の玄関口並びに宿場町として重要な役割を果たしていました。
時代の流れとともに、徒歩から鉄道や自動車へと交通手段は変わりましたが、首都圏から山梨県、長野県方面へ向かう鉄道や高速道路から富士山方面へ分岐点でもある大月市は「交通の要衝」並びに「ゲートウェイシティ」として機能しています。
特に大月駅は、今もなお各地から富士山観光を目指す、多くの観光客が乗り換えのために降り立つ駅として有名です。
いつの日かあなたも富士山へ向かってみませんか。
そして、大月市へ立ち寄ってみませんか。
